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「畳屋の娘」と噂された少女は、なぜ女性最高の位まで上りつめたのか|桂昌院(お玉)の生涯【大奥】

ひもとく日本史47回視聴投稿日: 2026/11/06
「畳屋の娘」——江戸の町でそう噂された女性が、元禄15年(1702年)、朝廷から女性として最高の位「従一位」を授けられました。5代将軍・綱吉の母、桂昌院(お玉)です。 13歳で、側室・お万に仕える「部屋子」(個人の使用人)として江戸城の奥に入った少女は、どうやって頂点までたどり着いたのか。そして慶安4年(1651年)、3代将軍・家光が亡くなった日、お万・お楽・お夏・お玉——家光のそばにいた女性たちの行き先は大きく分かれていきます。大奥の出世双六の上で、彼女たちの「ふりだし」と「あがり」を、記録と伝承を分けながらたどります。 ▼目次 0:00 はじめに 1:28 第一章 三つの噂 3:55 第二章 部屋子のお玉 6:49 第三章 子を産んだ女たち 9:14 第四章 慶安四年四月 12:01 第五章 城の外の二十九年 14:15 第六章 三の丸の母 17:42 第七章 従一位 19:36 結 盤の上の女たち ▼記録・伝承について ・お玉の生まれ(畳屋の娘・大根売りの妹・八百屋の娘)は、いずれも噂や後世の書物に伝わる話で、確かなことは分かっていません。八百屋の娘の話をまとめた『玉輿記』は、お玉の死から76年後の本です。 ・「玉の輿」の語源をお玉とする話は、俗説とされています。 ・春日局の目にとまった話、「秋野」の名、御中臈を経て側室になった流れ、お楽の父の話、お万が「お梅の局」として大奥に残った話などは、伝わる話で、資料によって違いがあります。 ・家光の死後、桂昌院が身を寄せた先ははっきりしていません。 ・生類憐みの令を隆光や桂昌院が言い出した・裏で動かしたという話は、いまの研究では確かな証拠がないとされています。 ・大奥の女中の人数や給金の数字は、のちの時代の記録によるものです。 ・「位記」の画面はイメージで、実物ではありません。 ※年齢は数え年、日付は旧暦です。 ※肖像画・浮世絵・写真以外のイラストはAIで生成したイメージで、顔や衣装、場面は想像によるものです。地図・図解は概略図です。 ▼肖像画・浮世絵・写真(Wikimedia Commons) ・パブリックドメイン:桂昌院像、徳川綱吉像(土佐光起 画)、徳川綱吉像(法隆寺)、徳川家光像(2点)、徳川家綱像(狩野安信 画)、柳沢吉保像(狩野常信 画)、隆光像、『むさしあぶみ』(明暦の大火)、中野の犬小屋の図、歌川国貞『奥奉公出世双六』2点(国立国会図書館)、楊洲周延「千代田の大奥 歌合」 ・楊洲周延「千代田の大奥」2点:The Metropolitan Museum of Art(CC0) ・護国寺 本堂:Kakidai(CC BY-SA 4.0) ・今宮神社の桂昌院の碑:TNdK819(CC BY-SA 4.0) ・今宮神社:Hyppolyte de Saint-Rambert(CC BY 4.0) ・春日大社 桂昌殿/善峯寺 鐘楼:Yanajin33(CC BY-SA 3.0) ▼BGM OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME) 「神様の道」 キュス /「沈黙の聖堂」「雨に消える声」「faded away」「Storyteller」 のる /「秋、深まりて」 蒲鉾さちこ /「雪化粧」「花一華」 MAKOOTO /「懐かしの里」 今川彰人オーケストラ /「雪月花」 まんぼう二等兵 /「ノスタルジア」 こばっと ▼ナレーション VOICEVOX:青山龍星 引き立てか、運か、それとも本人の力か。お玉を頂点まで押し上げたのは、どれだったと思いますか。ぜひコメントで聞かせてください。 チャンネル登録をしていただけると、とても励みになります。 #大奥 #桂昌院 #日本史

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