鰐淵晴子 ── 55年ぶりのバイオリン 〜父への「ごめんね」、娘からの贈り物、そして80歳で出会った喜び〜
「パパ、ごめんね。私、映画をやるわ」――バイオリンの「天才少女」と呼ばれ、10歳で映画『ノンちゃん雲に乗る』に主演した鰐淵晴子さんが、大好きな父に告げた言葉です。
そして80歳を目前に、彼女は娘の家族の隣を離れ、山梨の山のふもとでひとり暮らしを始めました。テレビで「さみしくない?」と聞かれ、「さみしい」と即答した彼女は、なぜ笑顔を見せたのでしょうか。
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ウィーンから日本へ渡った母・ベルタさんと、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたバイオリニストの父・鰐淵賢舟さん。1945年4月、疎開先の防空壕で生まれた少女は、3、4歳から父の厳しい稽古を受け、8歳で全国を演奏して回るようになります。けれど家ではドイツ語と日本語が半々。学校にはなじめず、外ではほとんど話すことができませんでした。
10歳で主演した『ノンちゃん雲に乗る』。母親役を演じたのは、原節子さんでした。やがて少女は、映画の道を選びます。父は、強く反対しました。
キスシーンさえ母に許されなかった清純派の美少女は、1968年に結婚し、翌年に離婚。アメリカへ渡り、1970年、恋人のカメラマンとともに写真集を発表します。同じ年、事実無根の週刊誌の記事に対して、彼女は自ら告訴に踏み切りました。
1972年、そのカメラマン、タッド若松さんと結婚し、娘の理沙さんが生まれます。1986年に離婚。同じ年、父・賢舟さんが76歳で亡くなり、父が遺したバイオリン教室も、やがて失われました。
2015年、「第2のお母さんみたいな方」と語った原節子さんの訃報。ドイツでオペラ歌手として活動する娘を手伝い、日本とドイツを行き来した日々。そして、長年飼っていた愛犬との別れに落ち込む母に、娘はある言葉をかけました。
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◆『ノンちゃん雲に乗る』の少女、そしてスクリーンの鰐淵晴子さん。どの姿を覚えていらっしゃいますか。
よろしければ、コメントでお聞かせください。
※本動画は、鰐淵晴子さんご本人の発言・ブログ、裁判所の判決、当時の報道などの公開資料に基づいて構成しています。
【主な参考資料】
・鰐淵晴子さんインタビュー『婦人公論』2025年10月号
・鰐淵晴子さん 公式ブログ(2021年)
・『徹子の部屋』2025年6月11日・2022年9月15日放送(毎日キレイ、MANTANWEB、スポニチアネックス、テレ朝POSTの報道)
・東京高等裁判所 判決(昭和46年(う)第3241号)/東京地方裁判所 判決(平成2年(ワ)第11711号)
・日刊ゲンダイDIGITAL 2025年12月3日「100歳まで元気! 先達100人の証言」
・『週刊現代』2016年/2023年3月26日「女優たちの卒業写真」
・八ヶ岳ジャーナル(WEBTODAY)2025年4月18日
・デイリースポーツ 2015年11月27日
・よろず〜ニュース 2021年/2026年10月2日
・Wikipedia「鰐淵晴子」「花札渡世」
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