サイパン島の実話 | 米軍2万人の捜索をなぜ47人は512日も生き延びたのか
▶ 前の動画:ペリリューの実話(同じ1944年、サイパンの2か月後の島)→ • なぜ80年も放置されたのか|ペリリュー島の密林で見つかった「消えた1,086人」
1945年12月1日、午前9時。サイパン島の広場で、一人の日本軍の大尉が、軍刀を両手でアメリカ海兵隊の中佐に差し出しました。戦争が終わって、3か月半がたっていました。
サイパンの戦いは1944年7月9日に終わった、と私たちは教えられてきました。ところが翌日のアメリカ軍の新聞は「サイパン島の日本軍の残存部隊が、昨日、降伏した」と伝えています。島の戦争は、そのあとも1年5か月続いていました。
大場栄大尉と47人は、2万人を超えるアメリカ軍の島で、何を食べ、どこに隠れていたのか。終戦を知っていたのに、なぜ3か月半も山を下りなかったのか。そして、差し出した軍刀はどこへ行ったのか。アメリカ海兵隊の公刊戦史、米軍の新聞、元海兵隊員ドン・ジョーンズの本、蒲郡に残った夫婦の手紙でたどります。
サイパンの戦いを知らない方にも分かるように、最初に島の場所と戦いの流れを短く説明しています。
▼ 目次
0:00 記録とオープニング
2:19 第1章 知らない方のために
5:45 第2章 敵の背後
7:54 第3章 横隊と岩棚
11:30 第4章 終戦を知っていた
14:40 第5章 12月1日、午前9時
16:46 第6章 臆病者か
20:05 エンディング
▼ この動画で分かること
・サイパン島はどこにあり、なぜ「絶対国防圏」と呼ばれたのか
・1944年7月7日の総攻撃と、その夜の大場大尉
・岩の陰の待ち伏せと、「20メートル以内に来るまで撃つな」という命令
・1944年9月、海兵隊が島の幅いっぱいに並んだ捜索で、47人が隠れていた場所
・350人が食べていた物と、民間人のその後(記録が2つに分かれる所)
・1945年9月のビラと、「文書による命令がなければ山を下りない」という条件
・12月1日、「歩兵の本領」を歌って山を下りた47人
・戦後の蒲郡で言われた「臆病者」と、記録に残っていること
・妻の峯子が買った軍刀と、1982年に蒲郡へ戻ってきた刀
▼ 主な出典・参考文献
・Carl W. Hoffman『Saipan: The Beginning of the End』(米海兵隊 公刊戦史、1950年)
・Philip A. Crowl『Campaign in the Marianas』(米陸軍 公刊戦史)
・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書6 中部太平洋陸軍作戦〈1〉』
・米軍の新聞 The Daily Target(1945年12月2日)
・Chicago Tribune(1986年9月15日)
・ドン・ジョーンズ『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』(祥伝社 1982年、黄金文庫 2011年)/Don Jones『Oba, The Last Samurai』(1986年)
・大場書簡を読み解く会『大場栄と峯子の戦火のラブレター』(2011年)
・『蒲郡市史』『豊橋市史』、東愛知新聞(2010年8月25日・2018年11月24日)
・秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典』
※ 数字は資料によって違うものがあり、違うまま並べています(崎戸丸で亡くなった兵 2,200人/2,358人、総攻撃の人数 3,000人/4,300人、大場のもとに集まった人数、日本軍の死者 2万5千人/4万1千人など)。
※ 第2章から第4章の山の中の出来事の多くは、ドン・ジョーンズが35年後に大場本人から聞き取った本によります。アメリカ軍の記録と違う所は、本編で両方を示しています。
※ 「組織として戦った最後の日本軍」は、サイパン島での話です。終戦のあと、島の北のマッピ岬などで、ほかにも少人数で投降した人たちがいます。
※ 斎藤義次中将の最期は7月6日と7月10日の2つの説があります。大場大尉の少佐への特進は、のちに取り消されています。
※ 映画『太平洋の奇跡 ―フォックスと呼ばれた男―』(2011年)の映像・写真・台詞は使っていません。映画の人物には創作が含まれます。
※ 遺体・負傷者の映像は映していません。1945年12月1日の投降の場面は動く映像が見つからず、米軍の写真(公有)を使っています。
※ 当時の場面の絵・動画で「再現イメージ」と表示したものは、実際の場面の記録ではありません。新聞・命令・手紙の紙は、記録の文をもとに再現したものです。
※ 崖と岩棚の3Dは、記録の寸法(高さ・幅・頭上の距離)をもとにした模型で、実際の形とは違います。
※ 記録映像:米海軍・米海兵隊、米陸軍航空軍(米国立公文書館 NARA・公有、archive.org)。
※ 写真:米海兵隊・米海軍・米陸軍通信隊・米国立公文書館・米海軍歴史遺産司令部ほか(公有)、USMC Archives(CC BY 2.0)、Otis Historical Archives, National Museum of Health and Medicine(CC BY 2.0)、Roman SUZUKI(CC BY 3.0)、ブルーノ・プラス(CC BY 4.0)、Cla68(CC0)。いずれも Wikimedia Commons ほか。
※ 地図:NASA Blue Marble(公有)、国土地理院 シームレス空中写真をもとに作図。衛星画像:Sentinel-2 cloudless - https://s2maps.eu by EOX IT Services GmbH (Contains modified Copernicus Sentinel data 2016)、CC BY 4.0。標高:Copernicus DEM(© DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA)。3D地形はこれらをもとに自作しました。
※ オープニングの3Dモデル:This work is based on "Battleship Yamato 戦艦大和" (https://sketchfab.com/3d-models/battl...) by KaguyasamaFA (https://sketchfab.com/kaguyafa) licensed under CC-BY-4.0
※ 図・BGM・効果音はオリジナルです。
※ 特定の人や国を責めたり、たたえたりするための動画ではありません。
▼ サイパンの2か月後、同じ1944年の島(ペリリュー)
• なぜ80年も放置されたのか|ペリリュー島の密林で見つかった「消えた1,086人」
▼ この島から飛んだB-29を止めるために戦場になった、硫黄島の回
1本目 • 硫黄島からの手紙の実話|死者は日本が3倍なのに、なぜ米軍の死傷者が上回ったのか
2本目 • 硫黄島からの手紙の実話 |映画のあと、地下にはまだ2,500人が生きていた
▼ 戦艦大和の回
• 男たちの大和の実話|帰らない作戦のはずなのに、なぜ1,706人は海から帰れたのか
#サイパン #大場栄 #太平洋の奇跡
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